このページの先頭です
このページの本文へ移動

徳島市立 徳島城博物館
  • ご利用案内
  • 常設展示
  • 企画・特別展示
  • 催し物
  • 講座
サイトメニューここまで


本文ここから

とくしまヒストリー ~第20回~

沖洲おきのす」 -城下町徳島の地名8-

 沖洲といえば今日では名産のネギを連想される方も多いのではないだろうか。しかし、江戸時代には城下町徳島の最も東端に位置し、藩船の漕ぎ手、水主(かこ)の屋敷地として有名だ。
「忠英(ただてる)様御代御山下画図」(国文学研究資料館蔵)は城下町徳島の全体を描いた最古の図。沖洲は同図には「沖のす」と記され、漁村のような小集落が見えるだけだ。南北の細長い地形で、新町川と別宮川(吉野川)により形成された、まさに沖に浮かぶ洲のような場所だった。恐らく、地名はそこから生まれたのであろう。
 沖洲の開発が始まるのは江戸時代前期のこと。大坂の陣の直後、元和3年(1617)に紀伊国和歌山から家来16世帯とともに元浦に移住してきた太田太郎次郎という人物が沖洲の草分けとされる(『わが町沖洲』)。
『名東郡史・続編』によると、「太田次郎儀、紀州に罷在候処、御呼被為成阿波国へ罷越候、其節御知行高五百石可被為下置趣被為仰出候へ共、御請不奉仕へは、何にても相望申上候様」とある。太田次郎と記されているが太田太郎次郎であろう。武士であった太郎次郎は徳島藩主蜂須賀家の命令で阿波に来国した。蜂須賀家では重臣に登用しようとしたが、同人は武士の道を拒み、帰農し沖洲の開発に従事した。
 藩主の日記「万日帳」(国文学研究資料館蔵)を見ると、寛永13年(1636)6月2日の項に、「沖ノ洲太郎次郎伺公、大生鯛二上ル」と記されている。2代藩主蜂須賀忠英に拝謁し、生の大きな鯛を献上している。帰農したとはいえ藩主との良好な関係は続いていたことがうかがえる。
太郎次郎の子孫は代々、沖洲浦の庄屋を務めたという。沖洲は、江戸時代の前期には開発途上の場所だったのだ。
 沖洲の転機は、寛永17年(1640)に行われた水軍基地の移転だ。それまで常三島にあった徳島藩水軍の基地が福島東部の安宅に移された。江戸時代、水軍を「安宅」と呼んだが、これ以降、福島の東が安宅と呼ばれることになった。この水軍基地の移転に伴って、藩船の漕ぎ手である水主たちの屋敷も住吉島から安宅と沖洲に移された。これによって、北沖洲は水主たちの屋敷地として整備されていくことになった。後に約170軒もの水主屋敷等が整然と立ち並んだが、現代でいえば北沖洲は新興住宅地であった(南沖洲は漁村集落として展開)。
 水主屋敷地は間口5間・奥行15間の長方形で、短冊型をしていたので「短冊屋敷」と呼ばれたという(『阿波蜂須賀藩之水軍』)。町人屋敷は間口の広さに応じて税金や負担金が課されたので、間口は狭く奥行が長い形をとったが、足軽・武家屋敷でこんな形をとるのは珍しい。
 屋敷は、道路に面して平屋造の母屋が建ち、その奥は菜園が広がっていた。玄関はいずれも南向きで格子戸が入れてあり、半分が土間で半分は畳三枚敷きで、障子で仕切られていた。道路に面して炊事場があり、井戸と竃が設けられていた。来客応接用の表の間、家族が生活した奥の間、箪笥等が置かれた寝室の大奥の間があり、家の中心に仏壇が祀られていた。二階建てはなかったが、中二階を物置にしていた。沖洲の水主屋敷は、この規格で統一されていたというから興味深い。
 水主は藩船を漕ぐのが職務なので日常的に鍛錬を怠らなかったという。配偶者も体格の立派な方を選んだという(『阿波蜂須賀藩之水軍』)から、自分たちの職務によほど自信と誇りを持っていたのだろう。
 現代では沖洲は開発が進み、往時の名残を留めていないが、こんな水主の世界があったのは実に興味深い。


水主屋敷の間取り(団 武雄氏『阿波蜂須賀藩之水軍』P45)


「阿波国渭津城下之絵図」徳島城博物館蔵、天和3年(1683)。団地のような水主屋敷群。

参考文献

団 武雄氏『阿波蜂須賀藩之水軍』、徳島市立図書館発行、1958年
『名東郡史・続編』、名東郡自治協会発行、1971年
『徳島市史別巻 地図絵図集』、徳島市史編さん委員会編、1978年
『わが町沖洲』、沖洲地区文化おこし委員会発行、1990年
『日本歴史地名大系37 徳島県の地名』、平凡社、2000年
絵図図録第2集『徳島城下とその周辺』、徳島城博物館発行、2001年
根津寿夫「安宅の移転について」(『常三島遺跡1』、徳島大学埋蔵文化財調査室、2005年)

お問い合わせ

徳島市立徳島城博物館

〒770-0851 徳島県徳島市徳島町城内1番地の8

電話番号:088-656-2525

ファクス:088-656-2466

担当課にメールを送る

本文ここまで

サブナビゲーションここから

施設情報

よくある質問

情報がみつからないときは

お気に入り

編集

サブナビゲーションここまで

ページの先頭へ
以下フッターです。

徳島城博物館

〒770-0851 徳島市徳島町城内1番地の8

電話:088-656-2525 ファクス:088-656-2466

Copyright © Tokushima City All Rights Reserved.
フッターここまでこのページのトップに戻る